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2月 27, 2005の投稿を表示しています

キリストのうちに神の子となる

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キリストのうちに神の子となる あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。 こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」 従って、この石は、信じているあなたがたにはかけがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」 のであり、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神

日本205福者殉教者

日本205福者殉教者 (1867年7月7日に列福された) 205人の中の一人、スペインの福者ドミンゴ・カステレット神父は何年間も、身を隠しながら、信者を励まし、1628年9月8日西坂で火あぶり刑で殉教。 このホームページで知らせた隠遁者エスタニスラオ・マリア神父はこの福者と同じ町エスパレゲラ市で生まれた。 日本205福者殉教者についてもっと知りたい場合、 日本二十六聖人記念館公式ホーム・ページ を見て下さい。

聖トマス小崎

http://www.benedicite.net/montserrat 聖トマス小崎 ミゲル・小崎の子で大阪の修道院で育ちました。将来はりっぱな説教師になる才能をもっていました。 十四歳。ミゲルの子トマスが三原で母親へあてた手紙は死んだ後、彼の服の中で見つかりました 「ぼくはトマス小崎です。なつかしい母上のことを想いながら手紙を書きました“ 母上様、私たちは長崎で十字架につけられるようになっています。私のことも父上のことも、何一つご心配なさいませんように。天国で母上様のお出でをお待ち 申しております。人が母上にいかなることをしようとも、忍耐し、すべての人に多くの愛をお示しください。それから、弟マンショとフィリポを異教徒の手にゆ だねることのないように、お取り計らいください。私は、母上様のことを神様にゆだねます”」

日本26聖人殉教者

日本26聖人殉教者 (1597年殉教) 1549年、聖フランシスコ・ザビエルが日本でイエス・キリストの福音を述べ始めました。信仰は日本全 国に広まっていった。1593年、フランシスコ会の指導で京都での宣教も実り、信徒は増し、30万人を超えたといわれている。 1596年に、京都、大阪周辺のフランシスコ会士、イエズス会士、キリスト信徒ら24名を捕え、死刑を命じた。その中には、幼い子どもの信徒3人もいた。 彼らは、京都、堺、大阪市内を引き回された後、長崎までの道のりを歩かされた。その間、彼らの世話をした2人の信徒も自ら一行に加わった。長崎の 西坂に26の十字架が立てられた。はりつけになった彼らは、祈り、聖歌唱えながら殉教を遂げた。彼らの死は日本の教会の霊的な土台となり、殉教の場所はキ リシタンの巡礼地となった。 1862年6月8日に聖人の列に加えられた。 26聖人についての詳細は 日本二十六聖人記念館ホームページ を見てください。