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間第26主日 キリストは、…十字架の死に至るまで従順でした

  間第 26 主日 三原カトリック教会 P Frederik Khonde 神父様 〒 723-0011   三原市東町 3 丁目 13-5     ℡084-862-4514      Fax 0848-62-6824 本日のミサと行事 l   9 : 30 :ミサ (日本語)、 9 : 30 ミサ後大掃除 今後の予定とお知らせ   ①    10 月 3 日(土) 10 : 00  力石家の追悼ミサ ②    旧約聖書の書き記しリレーにご協力をよろしくお願いします。 ③    「現代社会から旧約聖書を読む」という勉強会を、第 1.3 の水曜日「午後」に開きたいので、募集をします。対象者は旧約聖書のことを知りたい三原教会と尾道教会の人たちです。開催地に関しては希望者との打ち合わせによって決めたいと思っています。このお知らせを兄弟姉妹に紹介していただければありがたいです。(フレデリックより)   聖書のみ言葉の味わい 回心の道を歩む罪人を迎え入れてくださる神様 (エゼキエル預言者18・25-28)   いつの時代にも人間は人生の様々な困難、不安と災害の意味と闘い、どう受け止めるべきかと悩みます。例えば、どうして頑張っても思い通りに人生が進まないのか。どうして細心の注意をしたのに病気にかかってしまったのか。どうして東日本大震災のような災害が起こるのか。神様に見捨てられたのか。我々が悪いことをしたのか。おそらく、人生のある時にこのような難しい疑問にぶつかるでしょう。それについて、旧約聖書の中には時代によるそれぞれの考え方があります。バビロン捕囚時の考え方とそれに預言者の返事を紹介させていただきたいと思います。 今週の第一朗は先週の日曜日の第一朗読のイザヤの預言 (55・6-9)のように、読はバビロンに行かされて希望をなくしたイスラエルの民への希望と励ましの言葉です。人間の人生に起こる様々ないいことと悪いことが人間の行いの結果とか、いいことが神様による報いとか悪いことが神様による罰だというのは、当時の基本的な考え方でした。先週の日曜日の朗読のイスラエルの民の考え方はそれでした。   ところが、エゼキエルの時に、イスラエルの民は自分の生き方と先祖たちの生き方を比較して、先祖たちのほうが、ひどいことをしたと納得して捕囚とそれに伴う苦しみ、侮辱などが、先祖の犯した罪の報い

わたしの名前のよさをねたむのか

  間第 25 主日 三原カトリック教会 P Frederik Khonde   神父様 〒 723-0011 三原市東町 3 丁目 13-5 ℡084-862-4514   Fax   0848-62-6824 本日のミサと行事 9 : 30 :ミサ(日本語) 18 : 30 :ミサ(スペイン語)   今後の予定とお知らせ   ①    9 月 21 日(月)- 22 日(火) 10 時-木の会 (多目的ホール) ②    旧約聖書の書き記しリレーにご協力をよろしくお願いします。 ③    「現代社会から旧約聖書を読む」という勉強会を、第 1.3 の水曜日「午後」に開きたいので、募集をします。対象者は旧約聖書のことを知りたい三原教会と尾道教会の人たちです。開催地に関しては希望者との打ち合わせによって決めたいと思っています。このお知らせを兄弟姉妹に紹介していただければありがたいです。(フレデリックより) 聖書のみ言葉の味わい あわれみといつくしみ深い神様 (イザヤ預言者55・6-9)   旧約聖書は神様とイスラエルの民との歩みの物語だといつも簡単にまとめています。旧約聖書のそれぞれの書物を読むと、神様がどんな方であるか、どのように日々ともに歩んできてくださるか、どのように人生の様々な困難の中で助けて導いてくださるか、どのように人間の罪で心を痛めるかを感じると思います。    例えば、今週の第一朗読はバビロンに行かされて希望をなくしたイスラエルの民への希望と励ましの言葉です。イエスが生まれるおよそ 600 年前にイスラエルの民がバビロニア帝国に負けて、エルサレムとそこにあった神の住まいと思われていた神殿も破壊され、多くの人たちがバビロンという町に行かされてしまいました。それは旧約聖書が語るイスラエルの民の失望と迷いの原因であったバビロン捕囚の始まりです。彼らにとって、捕囚に伴った苦しみや侮辱などは分たちの罪、堕落、偶像礼拝の結果でした。それで、絶望と迷いのあまり、神が聖であり、正義であるから、罪を犯した自分たちが捨てられても当然であり、神に近づく資格も神様の赦しを受ける資格もないと思いました。   イザヤはこうした人たちに人間の常識を超えた神の心の深さを示しました。神の道と人間の道、神の思いと人間の思いとの違いを取り上げ、神様の限りない