わたしの名前のよさをねたむのか

 間第25主日

三原カトリック教会

P Frederik Khonde 神父様

723-0011 三原市東町3丁目13-5

℡084-862-4514 Fax 0848-62-6824


本日のミサと行事

930:ミサ(日本語)

1830:ミサ(スペイン語)

 

今後の予定とお知らせ

 

   921日(月)-22日(火)10時-木の会 (多目的ホール)

   旧約聖書の書き記しリレーにご協力をよろしくお願いします。

   「現代社会から旧約聖書を読む」という勉強会を、第1.3の水曜日「午後」に開きたいので、募集をします。対象者は旧約聖書のことを知りたい三原教会と尾道教会の人たちです。開催地に関しては希望者との打ち合わせによって決めたいと思っています。このお知らせを兄弟姉妹に紹介していただければありがたいです。(フレデリックより)


聖書のみ言葉の味わい


あわれみといつくしみ深い神様 (イザヤ預言者55・6-9)

 

旧約聖書は神様とイスラエルの民との歩みの物語だといつも簡単にまとめています。旧約聖書のそれぞれの書物を読むと、神様がどんな方であるか、どのように日々ともに歩んできてくださるか、どのように人生の様々な困難の中で助けて導いてくださるか、どのように人間の罪で心を痛めるかを感じると思います。 

 

例えば、今週の第一朗読はバビロンに行かされて希望をなくしたイスラエルの民への希望と励ましの言葉です。イエスが生まれるおよそ600年前にイスラエルの民がバビロニア帝国に負けて、エルサレムとそこにあった神の住まいと思われていた神殿も破壊され、多くの人たちがバビロンという町に行かされてしまいました。それは旧約聖書が語るイスラエルの民の失望と迷いの原因であったバビロン捕囚の始まりです。彼らにとって、捕囚に伴った苦しみや侮辱などは分たちの罪、堕落、偶像礼拝の結果でした。それで、絶望と迷いのあまり、神が聖であり、正義であるから、罪を犯した自分たちが捨てられても当然であり、神に近づく資格も神様の赦しを受ける資格もないと思いました。

 

イザヤはこうした人たちに人間の常識を超えた神の心の深さを示しました。神の道と人間の道、神の思いと人間の思いとの違いを取り上げ、神様の限りないあわれみといつくしみを教えました。神様は罪を犯した人がきらうのではなく、むしろ闇の中にいる人間に心を配ってくださいます。人間の欠点も、弱さも、罪も神様に近づくための妨げではないので、神様に立ち帰れば神様はあわれんでくださり、豊かに赦してくださるとイザヤ預言者が教え、イスラエルの民を励ましました。

 

今週の第一朗読は福音書の箇所のように、私たちへの希望と励ましの言葉です。イスラエルの民のように、わたしたちも絶望や迷いの中で、神様に見捨てられた、神様がわたしたちから離れた、あるいは、自分の罪を思い、もう神様の前に立って、神様の赦しを求める資格も、受ける資格もないと思う時があります。今週の朗読はこのような私たちに人間の常識、正義感、思いを超えるあわれみといつくしみ深い神様の心と姿を示してくださいます。人間の滅びを望まれない神様は私たちの弱さを知っておられ、私たちを自分の所に招いてくださいます。

 

本日の願いと意向

 

l  わたしたち一人ひとりが神様の限りないあわれみと赦しへの意識を新たにして、喜びと希望を持って生きることができますように。

 

何らかの理由で自分が神様に見捨てられた、もう神様の前に立つ資格も教会に来る資格もないと思う兄弟姉妹が、今週の朗読が教える神様の限りないあわれみと赦しに触れ、勇気と希望のうちに神様に立


P Frederik Khonde 神父様

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