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ジョワン(ヨハネ)五島の語る五島列島 (五島崩れ)

セシリア 三永典子 三原カトリック教会 - 2009年1月17日 ジョアン(ヨハネ)五島が語る、五島列島                               皆さん、こんにちは。私はジョアン五島です。私の名前を聞いて、「あ!?日本26聖人の1人だ!」と気付いて下さる方があったら嬉しいです。  私の事を少しお話し致しましょう。私は1578年頃、五島列島で生まれましたが、どの島で生まれたのか、は皆さんご存じ有りません。非常に熱心な切支丹の家庭に育ちました。   五島列島は、長崎の西約100kmの東シナ海に浮かぶ大小 140余の島々からなっており、そのうち18の島に人が住んでいます。  福江島、久賀(ひさか)島、奈留(なる)島、若松島、中通島という5つの主な島があり、それが由来で五島列島と呼ばれているのでます。 五島列島へのキリスト教伝来  1562年の五島は18代領主・宇久淡路守(あわじのかみ)純定(すみさだ)様に治められておりました。この領主が病気になった時、長崎県の西彼杵半島の横瀬浦という所におられたコスメ・デ・トーレス神父様に医者を派遣して欲しいと手紙を書きました。  キリストの教えを信じなくても、神父様達の南蛮の医術は一目置かれていたのでしょう。   依頼を受けた神父様は、日本人医師ディエゴ(ディオゴ)さんを五島列島の福江島に遣わし、治療に当たらせました。治療の度にディエゴさんから神様の話を聞 かされたお殿様は、病気が回復すると、デウス(神様)の話が聴きたいと言って来ました。これにより、1566年1月ポルトガル人でイエズス会のルイス・ デ・アルメイダ修道士(イルマン)と、同じく元は琵琶法師であったロレンソ了斎(イルマン)さんが五島に派遣されました。   ※アルメイダ修道士(1525〜1583)   ※アルメイダ修道士が宇久純定さまに会っているは、日本初の南蛮外科医。 場面。左手前は琵琶を手にするロレンソ了斉  亡くなる4年前に修道士から,  司祭に昇格して天草全島の責任者となった。 天草で帰天。                       領主の布教の許可を得て2人は福江島で宣教を始めましたが、お寺の僧侶などからいろいろと妨害を受けて、布教は思うようには進まず、一時は引き上げる寸前 まで追い込まれました。しかし