福音のマンが リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 投稿者: Miriam - 4月 15, 2006 イエズス・キリスト様について知りたいと思うならば、まんがのリンクを開いてみてください。 http://gospelcomics.com/japanese/index.html主イエス・キリストの過ぎ越しはおめでとうございます!主はまことに語復活されました。アレルヤ、アレルヤ! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
隠遁者エスタニスラオ・マリア神父の略暦 投稿者: Miriam - 3月 16, 2005 1915年9月12日 エスパレゲラ(バルセロナ)で生まれる 洗礼名はアマデオと名付けられた 1920年 4才半で、聖母マリアに足の障害を癒される 5才で、も一度聖母マリアは現れて、ご自分とともにモンセラート修道院に入るようにと呼ばれる その時から召命は修道者、隠遁者、司祭、宣教者になることを少しずつはっきり決める 子供時代には教会でいろいろな活動をする 1927年 12才で、病気のとき、イエズスが現れてご自分のもとに呼ばれた 同時に人々の救いのために尽くすように言われた 再び病気が癒されていた。 1928年8月5日 モンセラート志願者の学院に入会する 1933年 修練院に入る。修道名はエスタニスラウ・マリアと頂く 1934年6月 御心の祭日にイエズスが現れて、ご自分を愛していない人のかわりに、愛のいけにえとなってほしいと言われた 1934年8月6日 初誓願 1936年7月18日 スペインの内戦 キリスト教に迫害 モンセラートから脱出 修道院の23人殉教 一年間親の家へ避難 その後バルセロナの信者の家に避難 1937年12月8日 スペインを去りフランスへ向かう.2週間のあらしに船が流される 1938年1月 ベルギーの聖アンドレの修道院長に受け入れられる ベルギーで神学の勉強を続ける 1939年1月15日 隠遁者になるゆるしを頂く 1939年1月17日 ベルギーのMaredsous 修道院で荘厳誓願 春に内戦が終わります モンセラート修道院は再開する 1939年9月 モンセラートにもどる 第2次世界大戦始まる 1941年8月10日 モンセラートで司祭に叙階される 1941-1961年 修道院の共同体の中で神学院の教育者、 マリア学、教父学、典礼学などの研究 スペインとローマのマリア学のアカデミーからメンバーに任命される 1961年2月7日 腎臓の手術を受ける 深い命と死の経験の悟り 1961年4月27日 許しを得てモンセラートの聖母の洞窟で隠遁生活を始める 1961-1965年 霊的な師父としてますます外部... 続きを読む
エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父 投稿者: Miriam - 3月 16, 2005 私の師父 87歳の命を得て、エスタニスラウ・マリア・ヨパルト神父がその命の3分の一部、最後の29年は日本に隠遁者として生きました。この方について語るために、まず略歴を伝わります。 少々、師父の命の言葉、物語、生き方について書き続けるつもりです。 それは、神様の霊的な軌跡の現しているかたについて語ることなので、決して簡単ではありません。見たこと、知っていたこと、聞いたことを伝える知恵を主に頼みながら、証人として、今日から書くつもりです 続きを読む
ジョワン(ヨハネ)五島の語る五島列島 (五島崩れ) 投稿者: Miriam - 1月 20, 2009 セシリア 三永典子 三原カトリック教会 - 2009年1月17日 ジョアン(ヨハネ)五島が語る、五島列島 皆さん、こんにちは。私はジョアン五島です。私の名前を聞いて、「あ!?日本26聖人の1人だ!」と気付いて下さる方があったら嬉しいです。 私の事を少しお話し致しましょう。私は1578年頃、五島列島で生まれましたが、どの島で生まれたのか、は皆さんご存じ有りません。非常に熱心な切支丹の家庭に育ちました。 五島列島は、長崎の西約100kmの東シナ海に浮かぶ大小 140余の島々からなっており、そのうち18の島に人が住んでいます。 福江島、久賀(ひさか)島、奈留(なる)島、若松島、中通島という5つの主な島があり、それが由来で五島列島と呼ばれているのでます。 五島列島へのキリスト教伝来 1562年の五島は18代領主・宇久淡路守(あわじのかみ)純定(すみさだ)様に治められておりました。この領主が病気になった時、長崎県の西彼杵半島の横瀬浦という所におられたコスメ・デ・トーレス神父様に医者を派遣して欲しいと手紙を書きました。 キリストの教えを信じなくても、神父様達の南蛮の医術は一目置かれていたのでしょう。 依頼を受けた神父様は、日本人医師ディエゴ(ディオゴ)さんを五島列島の福江島に遣わし、治療に当たらせました。治療の度にディエゴさんから神様の話を聞 かされたお殿様は、病気が回復すると、デウス(神様)の話が聴きたいと言って来ました。これにより、1566年1月ポルトガル人でイエズス会のルイス・ デ・アルメイダ修道士(イルマン)と、同じく元は琵琶法師であったロレンソ了斎(イルマン)さんが五島に派遣されました。 ※アルメイダ修道士(1525〜1583) ※アルメイダ修道士が宇久純定さまに会っているは、日本初の南蛮外科医。 場面。左手前は琵琶を手にするロレンソ了斉 亡くなる4年前に修道士から, 司祭に昇格して天草全島の責任者となった。 天草で帰天。 領主の布教の許可を得て2人は福江島で宣教を始めましたが、お寺の僧侶などからいろいろと妨害を受けて、布教は思うようには進まず、一時は引き上げる寸前 まで追い込まれました。しかし... 続きを読む
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