日曜日の説教年間第12主日


年間第12主日
朗読:
エレミヤ預言 20・10-13
使徒パウロのローマの教会への手紙512-15
マタイ1026-23

神に信頼する人は、神様に守られるから恐れることはありません。

聖体拝領をとおしてイエスと、そして、兄弟姉妹と一つに結ばれます。その交わりによって、永遠の命のパンであるイエスは私たちの心の空腹や欲望などを満たしてくださり、わたしたちを満足させてくださると、キリストの聖体であった先週の日曜日に言われました。イエスに従う者はイエスの名によって、苦しみ、迫害などに遭う可能性があるのですが、一羽の雀にも目を留めてくださる神様が私たちを見守ってくださるから、恐れる必要はないと今日の朗読が語っています。

第一朗読のエレミヤ預言者の時代の人たちは、神様と先祖たちが結んだ契約と神様の教えから離れてしまったことで、社会不正義、貧困、貧富の差などが入ってきました。それと同時に、弱くなったイスラエルの南王国を奪うために、北からバビロニア帝国が迫ってきました。ところが、エレミヤ預言者は迫る危険性と社会の色々な問題を訴えたが、人々は彼を偽預言者として見ました。それで、エレミヤ預言者は社会指導者をはじめ、色々な苦悩と迫害、避難などを受けたのです。

「わたしに聞こえています。多くの人の非難が。恐怖が四方から迫ると彼らは言う。わたしの味方だった者も皆、わたしがつまずくのを待ち構えている」、と今日の第一朗読が語るのは、そのエレミヤ預言者の苦悩に満ちた告白です。しかし、彼の力と支えは主が恐れるべき勇士としてともにいてくださることと、迫害者の方がつまずき、とこしえの辱めを受けるという確信から来るものです。それで、第一朗読が語るように、エレミヤは信頼のうちに祈り、神を賛美しました。

福音は、人間を見守ってくださる神様への信頼を呼びかけています。今日の箇所は12使徒を派遣するにあたってのイエスの言葉です。天の国の福音を告げ、悪霊を追い出し、病人をいやす使徒たちの活動は必ずしも好意的に受け入れられるとは限らず、むしろ、迫害を受けることが避けられないことをイエスは予告します。そして、その中でどういう態度を取るべきかは、今日の福音箇所の焦点です。今日の福音は人々を恐れてはならない理由を語ります。それは、神様のゆるぎない保護です。それを強調するために、イエスは二つの例えを語りました。

まず、「雀」の例えです。雀は小さな鳥で、1羽では売り物にならないほど価値が低いですが、神に守られています。もう一つの例え話は髪の毛のたとえです。イエスはこの神の細かい配慮を強調するこの2つのたとえを通して、人間に対する神のいつくしみは決してなくならないどんな苦境の中でも人間は決して一人ではないという力強い励ましのメッセージです。

皆さん、私たちはイエスの弟子として、また、エレミヤ預言のように、それぞれの使命をいただいて、派遣されたものです。家庭をはじめ、毎日の生活の中でその使命を果たしています。しかし、エレミヤ預言者のように、精神的で肉体的な苦しみや迫害を受ける可能性があります。例えば、家族のためにいいことだと思って、それをしてみたら、かえって誤解された経験もあるかもしれません。また、毎日の生活の中で、人間として、「恐れ」を感じることはあります。病気、失業、家族の将来への心配、人からの裏切りなど、わたしたちに恐れを引き起こさせるものはいろいろあるでしょう。

そんな時でも、私たちは一人だと思ってはなりません。なぜなら、神一羽の雀を守り、髪の毛までも一本残らず数えられている神様がともにいてくださるからです。苦悩の中でエレミヤ預言者、また派遣された弟子たちを支えられたように、神様の存在と保護への確信は、わたしたちの力と希望の源泉なのです。何があっても、わたしたちは決して一人ではなく、ともにいてくださる神様が、周りの人々をとおして、見守ってくさいます。つまり、根拠のない恐れからわたしたちを解放するのは、神様がわたしたち一人ひとりを大事にしてくださり、見守ってくださる意識と確信です

信頼をこめてこの神様にすべてをゆだねて生きるように、また、神様の揺るぎない保護を、日常生活と出会いの中で新たに体験することができるように、病気や仕事などで悩み苦しむ人たちも神様がともにいてくださる意識のうちに力と勇気を見出すように祈り続けましょう。

P Frederik Khonde 神父様
三原カトリック教会

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