日曜日の説教年間第17主日

年間第17主日

朗読:

列王記上3・5、7-12

使徒パウロのローマの教会への手紙8・28-30

マタイ13・44-46

 

人生の最高の宝は、神様を示してくださるイエスとの出会いにあります。

 

先週の日曜日には、独麦のたとえ話をとおして、神様の限りない忍耐と寛容について聞きました。神様は忍耐強く、罪によって自分のところから離れた人間に回心のチャンスを与えてくださると言われました。今日の朗読は人生の最高の宝、人生の一番大切な物、または終わることのない物は神との出会いにあり、神様の支配に覆われることになると言われて、その出会いを毎日慕うように招かれています。

 

第一朗読は願うことが何でも与えられると神様に言われたソロモン王のことを語っています。ソロモン王は長い生き、財産、名誉、自分の敵が殺されることなどではなく、人々を正しく治め、善と悪を判断することができるように、聞き分ける心を願いました。つまり、ソロモン王が願ったのは神様とイスラエルの民との契約をうまく守り、正しく判断する知恵です。

 

福音箇所ではイエスはたとえ話、イメ―ジをとおして神の国について語っています。神の国はまず畑に隠された宝に例えられています。それを発見した人はそのまま隠しておき、喜びのうちに持ち物をすっかり売り払って、その宝を買います。また、神の国は高価な真珠に例えられています。商人がよい真珠を探していて、それを見つけると、宝を見つけた人のように、持ち物をすっかり売り払い、それを買います。

 

どうやってその2人は隠された宝と高価な真珠を、それぞれ見つけたのか?宝を見つけた人の場合は働きながら見つけ、真珠を見つけた人の場合は、探しながら、見つけました。つまり、福音も第一朗読と同じように、人間が求めるべき宝を教えています。それは、天の国です。「天の国」は「神の国」と同じで、神が王となる状態、つまり神の愛がすべてにおいてすべてとなる状態とか、あるいは、本当の意味でわたしたちが神と共にいる状態、神様に結ばれた状態と言ってもいいでしょう。わたしたちの人生に価値と意味を与える宝と真珠は、イエスによる神様との結びにあるのです

 

皆さん、神様はとてもすばらしい宝を与えてくださいますが、私たち一人ひとりの努力が必要です。畑を耕さないと、宝を見つけることも、探さないと高価な真珠を見つけることもできないと教える今日の福音書が語るように、神様との出会いに努めるように招かれています。宝と真珠の追求は、神様を知る欲望、イエスとの出会いへの飢えと渇きを指します。つまい、イエスとの出会いは、わたしたちの毎日の望みにならなければなりません。なぜなら、わたしたちの人生の意義、光と真理は、日常の出会いと出来事をとおして現れ、毎日曜日ここにわたしたちを集めてくださり、聖書をとおしてわたしたちの心に声をかけてくださるイエスにあるからです。

 

宝と真珠を見つけて、持ち物をすべて売り払った今日のたとえ話の二人のように、イエスを見つける人、あるいは人生の宝を見つける人は、すべてをやめるほど喜びに満ち溢れます。財産、出世、名誉などは、確かに大切なのですが、イエスとの出会いが与えてくださる愛、喜び、希望などに勝るものではありません。イエスを見つけ、イエスに結ばれると、たくさんのお金がなくても、お金が足りなくても、満足でき、心から安心、平和など感じることができて、神様に感謝できるのです。つまり、宝であるイエスとの出会いは私たちを満たすものです。

 

教会にはイエスと出会い、家族、仕事、財産など捨てて、新しい生き方を始めた聖人がたくさんいます。かれらの生き方とあかしが現すように、イエスとの出会いは、人間の生き方を変えるだけでなく、人生の意義、目的「なのために生きているか」と新しい使命を与えるものです。それを見出すと全てのものはむなしくなります。

 

魅力、人々を惑わせる思想、誘惑などが多いい現代社会では真の宝である主イエス、人生の一番大切な物を見出すように神様の恵み知恵と導きを願い求めましょう。

 

P Frederik Khonde 神父様
三原カトリック教会

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