年間第18主日

 

年間第18主日

朗読:

イザヤの預言 55・1-3

使徒パウロのローマの教会への手紙8・35、37-39

マタイ14・13-21

 

神様はわたしたちの渇きと飢えを満たしてくださいます。

 

先週の日曜日には私たちの宝は神様と出会い、神様のうちに永遠にとどまるところにあると聞いて、神様を探し求め、神様との出会いに努めるように、招かれました。この神様に信頼をしたら、わたしたちの物質的、霊的、精神的な必要が満たされるというのは、今日の朗読の一つのメッセ―ジです。

 

今日の第一朗読は、自分の故郷から離れて、バビロンに行かされたイスラエルの民のために書かれた箇所です。神様が渇きを覚えている人々を自分のいる所に招いてくださると今日の朗読が語っています。乾いている人々とは、バビロンで捕囚されたイスラエルの民のことです。かれらはある程度の自由が認められたようですが、生活はそれなりに保証されても、捕囚民としては、将来に対する不安を抱いていたと思われています。

 

それで、彼らを励ますために、肉体的にも精神的にも乾いている彼らにのどを潤す水があると預言者が語ったのです。神様の言葉を聞いて、神様に信頼をすれば、かれらの飢えと渇きが銀を払うことなく、価を払うことなく満たされます。なぜなら、神の言葉に信頼したら、神のいつくしみが生きる道を開いてくれていることに気づくはずだからだとイザヤ預言者が語っています。

 

イザヤ預言者の約束は、今日の福音の中で実現しています。今日の福音箇所はあわれみに満ちておられるイエスが病人を癒してから五つのパンと魚二匹を用いて五千人以上の人々の空腹を満たしたという奇跡物語です。弟子たちにとってあんな離れた所で、パン五つと魚二匹でそんな人たちを食べさせるということは無理でした。確かに人里離れた所なんですが、イエスがいるから、何でもあり得ます。イエスが五つのパンと二匹の魚を取り、祈りをささげてから、弟子たちはそれを群衆に配って、皆満腹しました。

 

皆さん、今日の福音箇所は人を生かすパンを与えるイエスの姿に焦点を向けています人間の必要を根本から満たすのは、イエスしかいません。神がイエスラエルの民を荒れ野で養ったように、イエスも群衆を人里離れた所に引き出して養っていると先ほど聞きました。つまり、わたしたちも、バビロン捕囚中のイスラエルの民、あるいは今日の福音の群衆のように、肉体的にも物質的にも霊的にも精神的にもいろいろ飢え乾いています。人間としては、私たちにはこれとあれが欲しいとか、何々なりたいとか、などの欲望があります。また、物質的に苦しむ人がいるように、経済的に恵まれても愛、承認、受け入れ、などを欠いている人もいます。外見で元気に見えても心の中で、悲しんだり泣いたりする時もあるでしょう。

 

また、どんなに経済的に恵まれても、自由、愛、真理、充実した人間関係などの霊的な食べ物がなければ、満足もできず、心の落ち着きもありません。癒し、出会い、愛情、受け入れなどを求めるわたしたちを満足させ、わたしたちに必要な物を与えてくださるのは、神様しかおられないのです。神様がわたしたちの必要な物、悩み、心配、不安、恐れなどをよくご存じだからです。

 

さらに、生まれてからずっと満足している人は、だれもいないでしょう。人間としては必ず人生のある時に、何かが足りないような気がしたり、孤独の中で行くべき道が分からなかったりすることもあるのです。だから、今日の朗読はわたしたちを満足させ、わたしたちの心を自信と安心感で満たしてくださる神様に立ち向かうよう求めています。イエスに従った群衆のように、神様に向かって歩んだら、神様がわたしたちを満たして、力づけてくださいます。

 

目の前の人の苦しみと悲しみに対して深い共感を持って、わたしたちのもっとも深い飢えと渇きを満たしてくださる神様のうちに永遠にとどまるように、また、自分が受け入れられていない、自分が愛されていないなどの不満を抱える人々も、日常生活と出会いの中で私たちを満たしてくださる主イエスの愛と受け入れを感じることができるように、祈り続けましょう。

P Frederik Khonde 神父様

三原カトリック教会

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