間第23主日

朗読:

エゼキエル預言者33・7-9

使徒パウロのローマの教会への手紙13・8-10

マタイ18・15-20

 

イエスに従う人は和解と共同体の一致の使徒です。

 

P Frederik Khonde 神父様

三原カトリック教会

 

 

先週の日曜日の朗読はイエスの弟子に認められる心構えと態度を語りました。それは、自分を捨てて、自分の十字架を背負って、イエスに従うことです。困難や疲れや誤解など中でも、諦めず、イエスに従うようにとわたしたちは招かれました。今週の朗読は共同体の中に問題があった場合は、どんな態度を取るべきかを教え、共同体の中にいる弱いメンバーへの共感と配慮を求めています。

 

初代教会の人々はどのように共同体に入ろうとしていた異邦人を受けるべきかと悩んでいました。例えば、ユダヤ人キリスト者からなる共同体であったマタイの教会にも異邦人たちが入ってきました。それと同時に共同体の拡大に伴う意見と見方の違い、争いなどが生じてきました。それで、マタイは何かがあっても兄弟姉妹を失わず、再び共同体に取り戻すことを求め、教会共同体のあり方について教えるために、イエスが語った言葉を自分の福音書に書き記したのです。

 

今週の福音の直前には「迷い出た羊」のたとえが語られています。そのたとえ話の結びには、「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」と書いてあります。その前には子どもを受け入れることと、小さい者をつまずかせないことが書いてあります。つまり、マタイは共同体の弱いメンバーに対する配慮が必要だと教えながら、罪を犯した兄弟も「小さな者」であり、滅びてはならない「一匹の羊」だとして見て、主イエスが求めた共同体が罪を犯した兄弟姉妹への配慮と取るべき態度を教えています。

 

イエスは罪を犯した兄弟にたいして、まず忠告するように命じます。こうした忠告の目的は非難や中傷ではなく、和解と赦しによって兄弟、姉妹を得ることだとイエスが教えています。一度の忠告が兄弟に聞き入れられなかったら、兄弟を得るためには、繰り返し忠告する必要があり、最大限の努力をすべきです。まず、1人で、次に1人か2人の兄弟と一緒に、最後に教会で忠告するとイエスが述べています。なぜなら、2人または3人がイエスの名によって集まるところには、イエスがその中におられるからです。一人で解決できなければ自分たちみんなで解決します。つまり、ここで求められているのは、ただ誰か外の人に解決してもらうのではなく、自分たちの中で解決を図ることです

 

皆さん、今日の第二朗読は「愛は隣人に悪を行いません」と語ります。隣人同士の間に愛の心が息づいているなら、確かに悪い行為は生じないはずです。しかし、教会であれ、修道院であれ、家族であれ、悪は完全に姿を消すことは、ありえません。今日の福音はそういう現実を抱えたわたしたちに、光を投げかけてくれています。

 

わたしたちは家庭、家族、地区、教会、職場などの共同体の中で生活していますが、問題のない共同体も弱さのない人の家族もありません。人間があるところに時々問題や意見の違いによって分裂や別れなども起こるし、離れる兄弟姉妹もいます。しかし、主イエスは問題があった時に、共同体の中で和解と解決と一致に努めるようにとわたしたち一人ひとりを招いています

 

今日主イエスは私たちをそれぞれの生活の場に新たに和解の使徒として派遣します。今日の第一朗読が語るように、私たちのイエスの弟子としての使命は兄弟姉妹が教会、家族、共同体から離れないように見張りをすることです。また、だれかが離れた時に、噂を広げるよりも、兄弟姉妹を共同体に戻すように、忍耐を持って努めるように招かれています。和解の弟子は、迷子になった兄弟や姉妹の事情を共感し、相手を助け、取り戻すように努めるのです。

 

今日の典礼の朗読に照らされて、愛とあわれみを持って、共同体として、互いに支え合い、それぞれの共同体の和解と一致に努めるように、このミサの中で神様の導きと助けを願い求めましょう。

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