いただいた神様の恵みを認め

年間第30主日 A

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朗読:

出エジプト記22・20-26

使徒パウロのテサロニケの教会への(1)手紙1・5c-10

マタイ22・34-40

 

いただいた神様の恵みを認め、

感謝するする心から神への愛と隣人への愛が生まれます。

 先週の「皇帝への税金」について質問されたイエスは、神様は唯一であるから、皇帝の物は皇帝に、神様の物を神様に返すように呼びかけました。聖なる神の物を神に返すと呼びかかけてくださる主イエスは、世界も命もすべてこの唯一の神のものであるという現実をしっかりと見つめなおすことを促してくくださいました。今日の典礼の朗読は神様の働きと恵みを認め、感謝する心から真の神への愛と隣人への愛が生まれると教えています。

 今日の第一朗読は寄留者に対する圧迫を禁じ、社会的弱者への配慮を求める人道的律法です。この箇所はシナイ山で神様との契約を結んだイスラエルの民のために書かれたものです。モーセは今日の朗読の言葉をとおして、イスラエルの民がどのように共同体の中で生きるべきかと、どのような態度を弱い人に対して取るべきか、そして、どうしてそうするべきかを教えました。モーセは社会的弱者を虐待したり圧迫したりするのを禁じて、彼らをたすける理由を教えました。

 まず、イスラエルの民は自分たちの先祖がエジプトで寄留者であったことです。その寄留者のことを思い出せば、かれらの苦悩と不安がどれほどであるか理解することができます。また、先祖たちは、そういう厳しい状況に置かれた時に神様の配慮といつくしみを体験したことです。つまり、イスラエルの民が寄留者を虐げず、孤児と寡婦に配慮しなければならないのは、自分がエジプトで同じ立場に置かれた時に、神様に助けられたからです。

 今日の福音は、当時のユダヤ会社の律法の中で、どの掟が最も重要なのかという律法学者のイエスへの質問とそれに対するイエスの答えを語ります。イエスは申命記とレビ記を引用し、神への愛と人間への愛と答えました。福音から聞いたように、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神を愛しなさい」、また、隣人を自分のように愛しなさい」とイエスが答えました。つまり、イエスにとって神を愛すること、と隣人を愛することは別のことではなく、1つのことです。

 皆さん、今日の朗読は神様からの愛と恵みが私たちを行動へと向かわせます。しかし、聖書の語る愛は、好きだというような人間的な愛着ではなく、そのものをそのものとして大切にすることです。神様は無条件に人間を愛する方です。その神の愛に気づき、感謝することが神を愛することだと言えるでしょう。つまり、今までの自分の存在、人生、自分のすべてがわたしの力によるのではなく、神の一方的な愛によるものであるという自覚から、感謝の心が生まれ、神を大切にしようとする心が芽生えるのです

 日本流にいえば、神様はこのわたしの大恩人なのだから、神様に義理があります。今わたしがこうなったのが神様のおかげだという思いは、神を愛することが掟とされている根拠です。神様に借りがあるから、神様を大切にしなければならないという理屈がそこにもあるのです。

 そして、このように「神を愛する」ことはわたしたちを「隣人を愛する」ことに向かわせるのです。神を愛することの具体的な表れが人を愛することだと言うこともできるでしょう。隣人のことは、今日の第一朗読が述べるように、外国人、孤児、寡婦、など社会的に弱い者、圧迫されている者、いじめられている者、病気の人など助けを必要とする人のことです。

 イスラエルの民のように、私たちも神様に助けられて、神様にお世話になっており、神様から健康と力をいただきます。病気、困難、迷いなどの時にわたしたち一人ひとりを助けてくださる神様、わたしたちの人生の中での神様の働きを認めると、感謝の心が生まれます。そして、その心は神様と隣人を愛するように促します。

 わたしたちの人生の中での神様の働き、愛と恵みに気づき、感謝の思いのうちに、いただいた愛と恵みに、兄弟姉妹と分かち合うことができるように、このミサの中で、神に祈りましょう。

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