心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る


諸聖人

 

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本日のミサと行事

l  930:ミサ(日本語)、1400 ミサ (英語)

 

今後の予定とお知らせ

 

   112日死者の日のミサは1115

   114日 1330 旧約聖書合同講座 (フレデリック)

   118日 (日)ミサ後:バーザ (昼まで)

   1115日 (日)七五三の祈り (ミサ中)、フレデリックによる「喜びを持って福音書を読む」聖書講座 (ミサ後)

   1115日(日)-22日(日):聖書週間

 

聖書のみ言葉の味わい


地上の誘惑、苦しみ、困難、迫害を乗り越えて、祝福された諸聖人 

(ヨハネの黙示 72-49-14

 

日本語の聖人という単語を表すラテン語の表現は「サンクティsancti」と「ベアティbeati」です。Sanctiは「神の人、聖なる人」の意味ですが、beatiは「幸いな人、祝福された人」の意味です。つまり、聖人は神のいつくしみと力によって「幸いな人であり祝福された人」とされたものです。また、今週の第一朗読から見れば、聖人とはは地上の誘惑、苦しみ、困難、迫害を乗り越えて、祝福された人のことです。

     第一朗読ではヨハネは幻の中で神に刻印を押された人たちと玉座と子羊の前に白い衣を着た人たちを見ました。その人たちがだれであるかと聞くと、大きな苦難を通って、子羊の血で衣を洗った人たちと言われました。それを理解するために、今週の箇所が属する黙示文学について考えさせていただきます。

 黙示文学は、イスラエルの民のバビロン補囚以後、ヘレニズム (ギリシャ文化と文明)時代に入ってからユダヤ教において成立をみた独特な文学類型で、迫害を受けていた人たちを励ますために書かれたものです預言は神の言葉を聞くということですが、「黙示」は、神による幻を見ることに集中し、本来、この世に隠されている神の言葉と行い、神様の神秘を人々に明らかに示すので、啓示と言えます。また、預言は人への神の審判を強調し、回心を求めていますが、「黙示」では、危機の解放や救いを説いて、忍耐や希望の心を持つようにと勧めます。黙示文学の著者たちは歴史の中の神様の働きとそれによる救いを語りながら、迫害を受けていた人々を励ましました

 今週のヨハネの黙示録はローマ帝国の敵と見なされ、迫害を受けて初代教会の人々を励ますために、悪に対するキリストの最後の勝利を宣言しました。例えば、今日の第一朗読が教えるのは、いくら迫害を受けても、ヨハネが幻の中で見た人たちのように、忠実な人たちは神に守られ最後にイエスの栄光にあずかるようになることです。

 諸聖人の祝いを行うにあたり、第一朗読のヨハネはわたしたち一人ひとりへの希望と励ましの言葉です。諸聖人は私たちのような人たちであり、神様の力によって地上の様々な困難を乗り越えました。初代教会の人々のように私たちも人生の様々な困難と苦悩と闘いがら、聖性への道を歩もうとしています。信仰と忍耐を持って歩めば、今日の第二朗読が語るように、神様に祝福され、神様をありのままに見るようになります。これがわたしたち一人ひとりと神様の望みです

 

本日の願いと意向

l  聖性への道を歩むわたしたち一人ひとりが人生の様々な困難の中で神様に力づけあられ、忍耐を持って歩み続けることができますよう。

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