お前は、少しものに忠実であった。主人と一緒に喜んでくれ

 

年間第32主日

本日のミサと行事

l  930:ミサ(日本語)、1030-1200 バーザ

(日)七五三の祈り (ミサ中)、フレデリックによる「喜びを持って福音書を読む」聖書講座 (ミサ後)

 

 今後の予定とお知らせ

   1116日(月)-17日(火)1000 気の会 

   1115日(日)-22日(日):聖書週間

   1128日 1100 司祭叙階式(広島幟町教会)

   125日 1800テぜ-の祈り(尾道教会)

   126日 待降節黙想会 (肥塚神父)

   今週中止になるミサ 17日(火)61521日(土)615

   ご協力をいただきまして、先週のバーザを無事に終えることができました。皆様、本当にありがとうございました。

 

聖書のみ言葉の味わい

神様のたまものの管理者(マタイ25・14-30)


 

復活されたイエスの到来は、初代教会の一つの問題でした。例えば、パウロの教えを受け、熱心になったテサロニケの教会の人たちは、主の来臨がすぐだと思い、イエスを出会うために仕事などをやめた人もいたそうです。パウロは、今日の第二朗読から聞いたように、その誤解を直そうとしました。しかし、時代が経つにつれて、イエスの来臨遅延が意識されてきました。今週の福音はイエスの到来が遅れている時代、イエスの復活と来臨の間を生きる者が取るべき態度を教えます

 今週の福音箇所には二つの時代に置かれた人たちの問題を取り上げています。まずイエスの時代の社会指導たちのことです。かられは神がアブラハムから与えてくださった啓示とメッセ―ジを自分の狭い民族の中に閉じ込め、ユダヤ民族という土の中と、律法という形式の中に埋めてしまいました。日常の行いを細かく規定する法律を作り上げ、それにしばられ、神様の愛、あわれみ、いつくしみなどを忘れてしまい、罪人や徴税人に対して冷たくなってしまいました。

 次、初代教会の人々のイエスの来臨に対する薄い考えです。先ほど申し上げたように、イエスの復活から離れれば離れるほどイエスの来臨への意識が薄くなってきました。それで、福音記者は時間が経っても再び来られる主イエスが、報告を頼むと教え、気を落とさず、準備するように呼びかけるために、イエスの言葉を福音書に入れたのです。

 皆さん、わたしたちは神様に命、愛、祝福、健康、才能、能力、家族、財産などで恵まれています。それらは、今日の福音が語るように、わたしたち一人ひとりに力に応じてゆだねられたタレントです。それらをどのように使っているかが再び来られる主イエスに問われます。神様からいただいたすべての物は埋めるためではなく、むしろ、それらを生かして、人々を助け、この世で神の国を広げるためのものです。そうしないと、わたしたちもユダヤ人の指導者のように、形、規則、教会法などに夢中になり、他の人に対してかたくなな心を持ち、冷たい態度を取って、神様からいただいた物を埋めることになります。

 また、今日の3番目のしもべのように、失敗や間違えへの恐怖とに苦労や面倒を避けるために、自分の力、能力など隠したりすることもあるでしょう。どのように神様からいただいた恵み、愛などを生かしているか、再び考えましょう

 

本日の願いと意向

l  神様からいただいた恵み、愛などに気づいて、感謝のうちに、それらを生かしすことができますように。


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